梅澤さんからのメッセージ



梅澤希一さんからのメッセージ

(2000.4)


自己紹介 梅澤希一と申します。私の大学からの経歴は、以下のとおりです。

91年   国際関係学類(現在の国際総合)入学
91年夏  遊び惚ける(特に麻雀の時間が長かった)
91年秋  Deb Secに入る
91-92年春 自信過剰で、ジャッジや先輩の意見に耳を傾けず、
      実力伸び悩む

92年   JNDT Best8
      (山上さん考案、小山さんに仕込まれたGovernment
       Topicalityで予選ラウンドの最終試合で全勝対決
       まで持ち込んだものの、実力のなさが露呈し、
       優勝した上智大学に敗れる)

92-93年  Deb チーフ
93年   KJDL Best8(宿敵千葉大学に敗れる)
      KUEL 3位
       (吉永の根性Debateが下馬評を覆し、
        強豪をなぎ倒したものの、本命一橋大学に敗れる)
93年夏  Deb Secを破壊
       (93年秋には、原ちゃんが立派に再建の上、
        悲願の日本一を達成)

93-94年  NY州立大学へ留学

94年秋  SIDT 3位
       (ほとんど反則の5年生出場。原ちゃんに助けられるも
        ブランク長く、上智大学に敗れる。優勝候補のWRESS
        を潰せたまでは良かったが)

96年   日本銀行入行(業務局、発券局にて研修)

97年   国際局為替課市場グループ
       (アシスタント・ディーラー兼アジア通貨担当。
        通貨危機本格化の前に脱出)
     総務課総務グループ
       (アジア通貨危機に際し、アジア諸国や財政当局との
        調整や日銀法改正等に伴う作業のアシスタント)

98年   国際収支課資本勘定グループ
       (証券投資に係る資本フローのモニタリング及び
        ブリーフィング担当)

2000年  そろそろ首が危ない
ディベセクに
入った理由
高校時代にDebateを教えてもらい、アメリカの高校生とやったら
自分のせいで大敗したため、悔しかったため。
また、その時の先輩がWESSに、同期が東大のそれぞれDebateに
いたため、彼ら負けたくなかったこともあった。
私のディベート
おすすめポイント
やることは膨大だし、スピーチもすぐにはうまくならないし、
英訳は面倒だし、負ければ苦しい。
そのうえ、あまりの苦しさからチームをまとめるのは大変だが、
チームが勝ち上がった時はあまりの嬉しさは泣けるほど。
負けないために、英語も向上したし、論理的思考も徹底的に鍛えられた。

カラオケ歌って、酒を飲む刹那的な喜びもたまにはいいが、
大切な青春時代の4年間ならば、あとで自分に残ることを徹底的に
やってほしい。No pain, no gain!

ディベートで
辛かったこと
自分の思いがチームメイトに伝わらなかった時。
一心不乱にやっているので、互いの意志疎通がうまくいかないことが
よくあった。そして、私は特に多かった。
その他、ひとこと 私はこれまで、これだけ自分が真剣に打ち込み、
相手も真剣に打ち込んでくる中でやるゲームを知らない。
勉強もゼミも論文も大事だが、そういたインプットの前に、論理的
思考能力がなければそういたインプットもほとんど役に立たない。

私の知る限り、自分の論理的思考能力に徹底的な検証をしてくれために、
相手が週に7日図書館に入り浸ってくれるゲームはこれしかない。

 中には、勉強を一生懸命にやりたかったり、公務員試験等との
掛け持ちから、Debateを躊躇する人もいるかもしれないが、
自分の将来を輝かせるためにも、Debateで論理的思考能力・
英語力を磨く時間は貴重で、決して無駄ではない。
もし、3年間が無理でも、1年間でも徹底的にはまる価値は絶対あります!

ちなみに、上記のような経歴の私が、もし1年生でやり直せるとしたら、
送りたい大学生活は以下のとおり。

Debate 入学式の後、すぐDebateに入る。1年目はモデルだけで、
インナー での練習試合でスピーチを徹底強化
(スピーチは一生もの。なるべく、最初に鍛える)。

勉強   経済学をしっかり勉強する。特に社工の授業も積極的にとる。

ゼミ   2年生から顔を出す

勿論、これらは私ができなかったと後悔していることばかりですが。


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